2009年5月4日月曜日

復刻:みどり 名所ある記 芭蕉の史跡


 毎日新聞月1回の折り込み紙 みどり 1977年10月15日号

 名所ある記 

 芭蕉の史跡
 星崎の闇を見よや啼く千鳥

☆深まる秋の一日、芭蕉研究家でもある名古屋郷土文化会理事、鈴村秋一氏(七七)から「鳴海を訪れずして芭蕉は知れない」と教えられ、縁深い芭蕉の史跡を訪ねた。

☆松尾芭蕉(一六四四~一六九四)江戸時代の人。名は宗房。伊賀上野に生まれ、各地を旅しながら、今までの俳諧に新しい感覚の“蕉風”を確立、多くの名句、紀行文も残した。句は俳諧七部集等に結集、紀行、日記の「奥の細道」「更科紀行」「嵯峨日記」などはあまりにも知られている。

 市文化財の千鳥塚(三王山) 旧街道そば ひっそり最古の供養塔

≪芭蕉塚≫(鳴海町根古屋)
 四百年前に建立されたという来迎山・誓願寺(西山浄土宗)。門前の真新しい高札に「当山は鳴海長者の下里家の菩提寺で、この供養塔は、芭蕉が元禄七年十月十二日大阪で没した翌月の命日の追悼句会の際、如意寺に建てられた。後年、翁の高弟・千代倉知足の菩提寺である当寺に移されたものである」と記されている。

 寺門を入ると、旧街道の混雑から、一気に別世界へ入り込んだような静けさ。芭蕪翁碑はハギが咲きみだれる境内、芭蕉堂の南わきの木立の中にひっそりコケむした中にたたずむ。「芭蕉翁・碑陰に元禄七申戌年十月十二日」と刻まれた碑は木曽石で、芭蕉の供養塔としては最古。その死をいたみ、供養して建立したという。いまも年一回、俳諧をたしなむ人たちが集まり、詠じて追悼するという句会が催されている。

☆芭蕉翁碑の誓願寺をあとに旧街道を干鳥塚へ。芭蕉の時代には静かであったこの道も、今は車が、わがもの顔で走っている。暗代の流れであろうか。

≪千鳥塚≫(鳴海町三王山)
 鳴海宿の西はずれ、三王山(山の神)にある。正一位緒畑稲荷の石碑を横に見て、赤トンボの舞うコンクリートの道を一五〇メートルほど上る住宅街の一角に大きなヒノキがウロコ雲の空をにらんでそびえる。碑はその大木の下に彼岸花に囲まれ、みかげ石の台座にひっそりと立つ。

 塚域は昭和四十六年、名古屋市文化財指定の折、改装されたもので、碑の前には、墨書も消えかけて読みずらい高札に「千鳥塚 貞享四年十一月寺島安信宅での句会において、芭蕉の句“星崎の闇を見よとや啼く千鳥”を立句とする。歌仙満尾の記念として建碑されたもの。文字は芭蕉翁、芭蕉遺跡ととしては白眉の碑である。安信宅は現在、根古屋の鈴村秋一氏宅の地である。昭和四十六年二月、名古屋市」と読みとれた。高札にあるように、碑は貞享四年(一六八七)に寺島安信宅で鳴海六歌仙の知足軒寂照、寺島菐言、寺島安信、出羽守自笑、玉重辰、沙門如風らと千鳥の句を立句とする歌仙干句を満尾した喜びの記念に建てられたもので、これまた日本最古といわれる。数多い芭蕉碑の中でも直筆のものは珍しい。

 芭蕉は何度も鳴海を訪ねている。それほどにここが気に入っていたのは、鳴海の地が師匠の北村季吟や、大垣・熱田の三歌仙、桑名の知己のところに近く、交際にも、文通にも便利で、土地の人々の人情が厚く、暮らしやすかったのではないかーと鈴村氏は述べておられる。鳴海は芭蕉が愛する自然でもあったのだ。
(淡河)

 三王山(山の神)にある大木の下に静かに立つ千鳥塚



















取材後の補足 1978年1月に高札が立て替えられています。1979年1月に撮影した千鳥塚の写真を掲載します。「淡河俊之 1979年撮影」というように、帰属を明示していただければご自由に活用していただいて結構です。

 千鳥塚
 この塚は貞享四年(一六八七)十一月寺島安信宅での歌仙「星崎の闇を見よとや啼く千鳥」の巻が満尾した記念にこの丘陵に建てたものである。
 碑面の文字は芭蕉の筆で建立に当っては芭蕉も手伝い小石を運んだという伝承もある。
 碑に句の見えないのはこの頃のならわしである。
 昭和五十二年七月 名古屋市史跡指定

 昭和五十三年一月
 名古屋市教育委員会


取材後の補足 30年後、訪れると金属製の高札になっていました。2009年2月に撮影した千鳥塚の写真を掲載します。「淡河俊之 2009年撮影」というように、帰属を明示していただければご自由に活用していただいて結構です。

 千鳥塚
 この碑は、貞享四年(一六八七)冬十一月、寺島安信宅での歌仙「星崎の闇を見よとや啼く千鳥」の巻が、満尾した記念に建てたもので、文字は芭蕉の筆、裏面には連衆の名、側面に興行の年月が刻んである。これは、芭蕉存命中に建てられた唯一の翁塚であり、俳文学史上稀有の遺跡といってよい。
 昭和五十二年名古屋市史跡に指定された。
 名古屋市教育委員会

 Chidorizuka Monument
 The monument on the mound was put up in November 1687 in commemoration of the completion of a poetry book by Matsuo Basho. lt is the only monument dedicated to Basho which was built in his life time. lt is designated as a municipal cultural property(historical site).