2007年10月22日月曜日

大雄山祇園寺

 曹洞宗・大雄山祇園寺は文禄年間(1592~95)に開創された寺。草創開山・仁甫良義、法地開山・呑舟透鱗、開基・貞昌院智山妙寿大姉。『尾張志』に、「有松村にあり大雄山と号し、鳴海村瑞泉寺の末寺也。もと園道寺といいまた猿堂寺とも称し鳴海村にあらたむ猿堂という名に依り疱瘡の守りを出す。近年奈良の薬師寺の仏足石を模して其歌を石碑に彫って境内に建てたり好事の所業なり」と書かれている。
 旧東海道から16の石段を登り山門をくぐる。境内正面に本堂。庫裏、三十三観音、1828(文政11)年に建てられた仏足石と仏足石歌碑。仏足石は釈迦が入滅前に残した足型を石に刻んだもの。日本にはインドから唐を経て伝わり各地で写し刻まれた。753(天平勝宝5)年銘文の奈良薬師寺のものが日本最古。同寺の仏足石は高さ55センチ、横100センチ。灰色の自然石に、一般に見られる吉祥文(法輪と指の間に彫られた魚文)、華瓶、螺貝、金剛杖などが刻まれていない素朴な彫り。全国に仏足石の種類は多いが、吉祥文のないものは少なく、徳川幕府お抱え医官、野呂元丈著『仏足石碑銘』に描かれている縮図の仏足石に良く似ている。
 仏足石歌碑は高さ120センチ、横80センチ。歌碑表には豪潮の力強い筆で、薬師寺仏足石歌第一首(光明皇后恭仏石)が、万葉仮名で刻まれている。筆をふるった豪潮は豪潮寛海といい肥後熊本の人で天台宗の僧で近世高僧の一人でもある。1817(文政14)年69歳のとき、尾張10代藩主斉朝の病気平癒を祈願するため、大須万松寺の瑞岡珍牛、護国院の黙室良要の推挙で尾張に迎えられた。
 本堂には本尊・釈迦牟尼仏、加葉尊者、阿難尊者、達磨大師、大権修理菩薩、十六羅漢など仏像を安置。余間には地蔵菩薩ほか、一段と金色に葵の紋が輝く初代藩主義直と二代藩主光友の位牌がまつられている。

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