1926 | 昭和 元 | 愛知電気鉄道有松裏-千種間鉄道敷設免許申請(1月) 博覧会出品のため愛知出品協会設立有松絞商工組合組長竹田嘉兵衛評議員となる(2月) 愛知電気鉄道鳴海-小坂間複線になる(4月) 有松の実業補習学校内に青年訓練所設置(7月) 愛知電気鉄道有松裏-名古屋駅前間鉄道敷設免許申請(8月) 有松・大高・鳴海の電話加入者数117件となる |
1927 | 昭和 2 | 阿刀山慈昌院創建し弘法大師大座像入仏式実施(2月) 東亞勧業博覧会に有松絞商工同業組合絞出品(3月) 北丹後地震でゆれる(3月) 第3回中部六県連合織物共進会に有松絞出品賞牌受賞(9月) 桶狭間の私設図書館が私立図書館として認可(11月) 愛知電気鉄道バス有松裏駅前-熱田駅前間開通(12月) 有松小学校の新校舎高根に建設 御大典奉祝名古屋博覧会に有松絞出品 |
1928 | 昭和 3 | 大禮記念国産振興東京博覧会に有松絞商工同業組合絞出品有功賞牌受賞(3月) 中外産業博覧会絞染出品功労賞受賞(4月) 第4回中部六県連合織物共進会有松絞出品1等賞受賞(5月) 大禮記念京都大博覧会絞染出品(9月) 御大典記念国産振興阪神大博覧会に有松絞出品、優良国産賞・銀賞・感謝状受賞(11月) 愛知電気鉄道有松裏駅-熱田駅前間のバス営業開始(12月) 有松と桶狭間の祭り分離 桶狭間処女会と有松処女会が統一され有松処女会設立 桶狭間で『桶狭間史跡』刊行 御大典奉祝名古屋博覧会に有松絞出品 |
1929 | 昭和 4 | NHK桶狭間放送所で第一放送の送信始まる |
1930 | 昭和 5 | 日本海々戦二十五周年記念海と空の博覧会に絞出品(3月) 愛知県特産品即売会に有松絞商工同業組合絞染出品(7月) 第3回国勢調で有松町人口2.275人(10月) 桶峡八景が梶野精堂画で作られる この頃、人絹絽の浴衣大流行 |
1931 | 昭和 6 | 有松郵便局集配局となる(3月) 名鉄桶狭間駅開業 桶狭間に自治組織として区制施行 |
1932 | 昭和 7 | 大根切干『尾張知多大根切干同業組合沿革ト統計』刊行される(10月) 愛知農商銀行倒産(12月) 有松絞開祖竹田庄九郎頌徳碑建つ 有松絞改善同盟会設立 有松郵便局集配業務開始 有松に自治組織としての区制施行 NHK桶狭間放送所で第二放送の送信も始まる この頃 東海道コンクリート舗装される |
1933 | 昭和 8 | 愛知県絞同業組合聯合会解散 有松絞改善同盟会と鳴海絞商業組合業務提携 愛知県絞組合聯合協会結成 桶狭間史蹟保存会ができ機関紙『桶峡』刊行 桶狭間古戦場跡に今川義元公と刻んだ石碑 桶狭間合戦史績絵葉書刊行 |
1934 | 昭和 9 | 知多郡と鳴海町を地域とした知多製氷御商業組合設立(5月) 岐阜県中部地震でゆれる(8月) 名鉄桶狭間駅廃止(12月) 第1回絹布絞競技会開かれる 第1回「有松しぼり祭」開かれる(7月) 愛知県輸出絞貿易組合設立 |
1935 | 昭和10 | 国道改修工事に伴う桶狭間付近の愛知電気鉄道立体交差工事が完成(3月) 愛知電気鉄道と名岐鉄道が合併し名古屋鉄道となる(8月) 有松町に突風と拳大の雹が降り農作物に被害(8月) 第4回国勢調査有松町人口2.131人(10月) 有松町と鳴海町四大字(大将ケ根・境松・有松裏・米塚)の合併問題が起きる 有松愛宕東古窯跡道路工事により壊滅行基焼第二型式の山茶碗や山皿出土 愛知県輸出絞貿易組合解散 この頃 有松の絞を営む商家21軒 有松公設市場が鳴海町有松裏に移転 有松の祭りに登場する猩々作る |
1936 | 昭和11 | 神戸ガーバー商会と取引開始絞輸出会社設立アフリカへ昭和13年までに木綿絞79.823反輸出(8月) 実業補習学校と青年訓練所を統合し有松町立青年学校が小学校に併置 有松絞工業組合発足 |
1937 | 昭和12 | 名古屋汎太平洋平和博覧会に有松絞出品金牌受賞(5月) 桶狭間神明社改築(2月) 天満社祭りの山車曳き出し中止となる 酒造家と酒類商組合で知多郡酒類販売統制会設置 |
1938 | 昭和13 | 有松絞工業組合創立総会開く(2月) 有松絞工業組合員名簿作られる(6月) 有松町信用販売購買利用組合組織(12月) 愛知県絞工業組合結成(組合員有松163人・鳴海90人・名古屋71人) 有松町が横須賀警察署の管轄となる 愛知電気鉄道知多郡の電燈事業を東邦電力株式会社に譲渡 綿系配給統制規則で絞業も戦時統制始まる 有松しぼり祭中止 天満社祭りの傘鉾中止となる 桶狭間農民共同資金を基礎とした産業組合設立 |
1939 | 昭和14 | 戦時体制強化のため消防団を警防団に改編(4月) |
1940 | 昭和15 | 桶狭間部落農事実行組合設立(11月) 有松絞商工同業組合解散 第5回国勢調査で有松町世帯数570戸、人口2.747人 繊維製品配給統制規則公布 有松絞「開祖頌徳会」結成 天満社祭りの音頭台中止となる |
1941 | 昭和16 | 有松の尋常高等小学校が国民学校となる 三基並んだ生山古窯跡国道1号線工事で破壊行基焼第二型式の山茶碗や山皿出土 この頃 絞業者の転廃業が多くなる |
1942 | 昭和17 | 国道1号線開通 愛知県絞技術保存会設立される技術保存会員27名 愛知県絞製造工業組合設立 繊維製品配給消費統制規則公布 衣料総合切符制実施 |
1943 | 昭和18 | 名鉄有松裏駅が有松と改称(11月) |
1944 | 昭和19 | 名鉄東部線(有松)が新名古屋駅乗り入れ(9月) 東南海地震で有松に被害でる(12月) 空襲で死傷者でる(12月) 愛知県絞製造施設組合結成(組合員数27名) |
1945 | 昭和20 | 三河地で有松に被害(1月) 空襲により桶狭間で公会堂と民家4戸全焼・有松では民家のほか役場も破壊され旧有松絞商工同業組合事務所に移転(5月) 戦時農業団解散(9月) この頃 有松愛宕西古窯跡開墾で破壊消滅 |
1946 | 昭和21 | 桶狭間青年親睦会再発足(1月) 有松青年団再発足(4月) 有松で新憲法発布記念の祝賀会協賛で山車曳行 南海道沖地震でゆれる(12月) GHQの指令で天満社氏子組織が文嶺講となり祭りを祭礼総代の主体で開くことが決まる |
1947 | 昭和22 | 学制改革で有松中学校が開校(4月) 愛知県絞製造施設組合が「愛知県絞染工業協同組合」に組織変更(4月) 有松郵便局無集配局となる(8月) 有松町消防団結成と共に消防団後援会組織できる(10月) 知多郡連合青年団発足 有松の国民学校が町立の小学校となる 天満社文嶺講が中心となり山車曳行の祭り再開 第6回国勢調査有松町人口3.502人 |
1948 | 昭和23 | 有松が国家地方警察知多地区警察署の所管となる(3月) 福井地震でゆれる(6月) 有松局電報配達業務廃止有松が鳴海局直配区域となる(7月) 有松農業会解散(8月) 有松農業協同組合設立(8月) 有松町立有松中学校校舎建設で寄付者に感謝状 小学校で味噌汁給食開始 有松町婦人会設立(10月) 国有綿の指定加工でアフリカ向け輸出用絞生産開始(10月) |
1949 | 昭和24 | 愛知県瀬戸保健所鳴海支所発足するも大高・有松は半田保健所が業務を担当(3月) 名古屋法務局有松出張所設置(6月) 有松町公民館開館(12月) 有松絞りまつり再開 絹糸布戦時統制令撤廃 |
1950 | 昭和25 | 有松青年団機関紙『ありまつ』発行(1月) 有松町商工会設立(2月) 公民館活動で『有松弘報』創刊(2月) 有松青年学級開校式実施(8月) 第7回国勢調査有松町3.589人(10月) 商工協同組合法の廃止で愛知県絞染工業組合解散 町道森下線で桶狭間大池下-大府町三ッ屋間工事着手 |
1951 | 昭和26 | 有松で農業委員会設置(7月) 有松に社会福祉協議会組織(8月) 綿糸布戦時統制令撤廃 有松の共同墓地「愛宕園」完成 |
1952 | 昭和27 | 有松絞商工協同組合設立(1月) 桶狭間青年親睦会機関誌『わかくさ』発行(1月) 奈良県北部地震でゆれ感じる(7月) 有松町制60周年記念式典開く(10月) 文部省文化財保護専門審議員が絞の調査実施 有松消防団四輪消防ポンプ車導入 有松青年団と桶狭間青年親睦会が連絡協議会設置 有松に勤労者互助会発足 |
1953 | 昭和28 | 有松に青少年問題協議会組織(4月) 有松町で民家の調査実施 長福寺地蔵堂再建 電話線の盗難多くなり有松で1件発生 |
1954 | 昭和29 | 自治体警察の廃止により有松町は横須賀警察署大高警部補派出所の管轄になる(7月) 有松町議会が名古屋市への合併を議決(10月) 有松小学校にプール完成 有松町人口3.850人(有松2.770人、桶狭間1.080人)戸数780戸 国道1号の完成で東海道(旧国道1号)を県道に編入 砂利道の国道1号有松地内で舗装工事開始 |
1955 | 昭和30 | 愛知県議会が有松町の名古屋市へ合併を否決(3月) 有松町農業協同組合が愛知県共済農業協同組合連合会に加入する(8月) 有松町の名古屋市編入を内閣総理大臣裁定で「編入ならず」と出る(9月) 第8回国勢調査有松町3.850人(10月) 愛知県『有松町の民家』刊行 有松神社建つ 有松絞商工協同組合が絞服地の研究を始める 東京都綿商会館で開かれた全国浴衣競技大会に絞出品 京都染織会館で有松絞見本市開く 名鉄バス名豊線名古屋駅前-豊橋駅前間豊橋鉄道と相互乗り入れして開通 |
1956 | 昭和31 | 有松町と大高町境界露根谷大高側古窯跡「露根谷の古窯跡群」として紹介 大芝池北嵐廻間古窯群を有松中学校が調査二基の窯確認され行基焼第二型式の山茶碗や小皿出土 小学校の完全給食実施 有松町『有松町史』刊行 |
1957 | 昭和32 | 有松町の古窯跡11地点13基紹介 清水山古窯跡群有松中学校が発掘調査行基焼第二型式の山茶碗出土 |
1958 | 昭和33 | 愛知県地方計画協議会で有松町は名古屋市に合併すべきと結論(11月) 名鉄バス有松線刈谷駅前-有松駅口間開通(12月) 天満社祭り山車と馬之頭は中止となる 郷土調査会『有松の古窯』刊行 |
1959 | 昭和34 | 有松駅北側の整備大略できる(8月) 伊勢湾台風で有松に浸水等による被害多く死者1人、負傷者9人、家屋全半壊31人(9月) 名鉄バス鳴海線大高駅前-名和間と鳴海住宅線有松駅前-鳴海住宅間開通(12月) 桶狭間の「戦評の松」枯れる 天満社祭り音頭台と梵天は当番町のみが出すことになる 有松絞商工協同組合と鳴海絞商工協同組合連絡会発足 |
1960 | 昭和35 | 名古屋市議会大都市制度促進実行常任委員会が合併について意向打診に有松を訪問(2月) 第9回国勢調査有松町4.544人(10月) 名鉄バス有松線・刈谷駅前-有松-鳴海住宅、名豊線・名古屋駅前-有松-豊橋を運行 |
1961 | 昭和36 | 有松商工会設立(3月) 北美濃地震でゆれ感じる(8月) 愛知用水完成し通水式行実施(9月) 台風18号(第二室戸台風)で被害(9月) 名古屋市議会大都市制度促進委員会が有松・大高・鳴海・上野横須賀の五町を合併すべきとし県議会議員と懇談会(12月) 天満社祭りの音頭台の登場最後となる 緑電話局開設 |
1962 | 昭和37 | 愛知用水上下水道完工で知多上野浄水場を利用し有松町営水道による給水開始(6月) 集中豪雨で被害(7月) 台風14号で被害(8月) 有松町が名古屋市との合併を見送り(9月) 桶狭間合戦史跡の戦評の松二代目を植樹 韓国との絞加工貿易を再開 |
1963 | 昭和38 | 越前岬沖地震でゆれ感じる(3月) 長尾名古屋市助役が有松町を訪門し39年度中の合併を申し入れ(12月) 名四国道(国道23号)完成 名古屋まつり協賛絞展第1回が開かれる この頃 慈雲寺地蔵堂再建される、堂は桶狭間下組の所有で古くは長福寺と共同で管理 |
1964 | 昭和39 | 有松町議会は名古屋市との合併に対し全員賛成(5月) 名鉄バス有松線ワンマン化(7月) 有松町議会、大高町議会、名古屋市議会が合併を議決(9月) 服部孫兵衛宅愛知県重要文化財に指定(10月) 緑消防署に救急隊新設(11月) 財団法人「有松絞技術保存会振興会」設立(11月) 有松が名古屋市に合併で緑区に編入され緑区役所有松支所できる(11月) 緑区が愛知警察署の管轄となる(12月) 水道局緑業務所相原町27に移転(12月) 旧知多郡有松町役場跡に記念碑設置(12月) 有松消防団発足(12月) 天満社文嶺講が規約を改正し町管理の3台の山車を一括管理するとともに山車の曳行を隔年で再開 名古屋まつり協賛絞展に有松・大高・鳴海の協同組合が合同で出品する 松岡たま絞の技術で愛知県指定無形文化財となる |
1965 | 昭和40 | 竹田嘉兵衛手書『有松絞り』編纂刊行(3月) 有松防火推進協力会発足(5月) 岡崎信用金庫事業地区に有松町加わる(6月) 有松の一部に宅地造成等規制法が適用(9月) 有松消防団が繊維会社から明治33年製造の蒸気ポンプを譲り受け消防学校に展示(9月) 第10回国勢調査有松町世帯数1.525戸、人口6.311人(10月) 有松・鳴海絞を名古屋絞として統一 愛絞会誕生賛同者45名 国の文化財保護委員会に絞の原反と見本を提出 緑電話局(27局)のサービスを開始 この頃 絞服地に進出44~5年に最盛期 |
1966 | 昭和41 | 有松絞技術保存会『有松志ぼり』発行(1月) 市営バス左京山-名古屋港港が有松口無池-名古屋港に延長(1月) 農業共済事業(有松)緑区農業共済組合に移管(4月) 名鉄有松変電所5.500Kwに増強(6月) 有松の農業委員会廃止し緑区農業委員会に統合(7月) 大根・白菜・玉葱の3品目が野菜指定産地「名古屋緑」として 国の重要野菜の指定を受ける(8月) 有松の合併地区行政協議会廃止(11月) 桶狭間古戦場調査委員会が『桶狭間古戦場調査報告書』市教育委員会に提出 |
1967 | 昭和42 | 緑警察署有松派出所完成(3月) 愛知県絞工業組合設立(8月) 絞商工協同組合と愛絞会代表が京都絞組合と懇談会 |
1968 | 昭和43 | 緑区の公衆浴場11軒(3月) 有松幼稚園認可(3月) 愛知緑公衆電話会発足(3月) 緑防火推進協力会発足(6月) 緑消防団発足(10月) 緑区木工業・緑区鉄工業各防火研究会発足(12月) 名鉄電車が今村-鳴海間で時速120キロ試運転 祇園寺山門再建 |
1969 | 昭和44 | 鳴海電報電話局緑電報電話局と改称し名古屋市内通話扱いとなる(2月) 緑高等学校開校(4月) 有松町農協と鳴海町農協が合併し緑農業協同組合設立(5月) 有松商工協同組合理事会で「有松町保存会準備会」への町民参加呼びかけ決める(12月) |
1970 | 昭和45 | 有松「有松町保存会準備会」話し合いの集い(4月) 有松商工協同組合が有松町保存のため「資料展示館」建設など具体的構想で市への働きかけ決める(3月) 集中豪雨により被害出て緑区に災害救助法適用 第11回国勢調査緑区の人口94.218人(10月) 勅使ケ池緑地と藤塚の一部を省き緑区が市街化区域に指定 広報名古屋に緑区版新設 県教育委員会により緑区の遺跡分布調査実施73地点82基の古代から中世の古窯跡確認 神沢古窯跡を白菊古文化研究所発掘調査し須恵器や陶塔発掘され奈良朝須恵器第二型式の窯と判明 |
1971 | 昭和46 | 渥美半島地震でゆれ感じる(1月) 緑電報電話局で通話中着信サービス開始(2月) 太子小学校が東丘小学校分校として開校(4月) 有松公民館改築完了し開館(4月) 台風23号で浸水などの被害が大きく災害救助法適用(8月) 絞技術者の会「有松むつみ会」結成(10月) 学生や若手研究者で「有松ゼミナール」発足し有松町の住民に意識調査実施(10月) 緑区の古窯跡『名古屋考古学会会報第20号』に発表 高松宮同妃殿下が有松訪問 |
1972 | 昭和47 | 緑区と愛知郡東郷町・豊明町との境界変更(2月) 緑図書館開館(8月) 有松絞技術保存振興会『有松志ぼり』刊行(10月) 有松絞商工協同組合『20年のあゆみ』発行(10月) 重要無形文化財「有松絞」実演会有松公民館で開催 有松の家並みを保存し近代的な町づくりを考える「有松まちづくりの会」準備会が発足(10月) 名四国道全線開通(10月) 市営桶狭間荘完成 絞技術者の減少で計画的な後継者育成開始 |
1973 | 昭和48 | 下水道整備始まる(1月) 有松天満社文嶺講の山車「布袋車」「唐子車」「神功皇后車」名古屋市文化財に指定(2月) 有松「有松まちづくりの会」発足(2月) 緑区の公衆浴場11軒(3月) 太子小学校が東丘小学校から独立開校(4月) 東陵中学校が鳴海中学校から独立開校(4月) 有松「有松まちづくりの会」後援会開く(5月) 有松「有松まちづくりの会」奈良県今井町見学会実施(5月) 台風20号で電話回線に罹障回線約1400件被害(9月) 緑電報電話局の電話加入者は平手局収容を含め25.063件 |
1974 | 昭和49 | 緑区役所新庁舎が完成(敷地面積9.111平方メートル建物面積5.720平方メートル)有松の支所が廃止(1月) 水道局緑業務所青山2丁目に移転(1月) 区制10周年を記念し、緑区の歌と「み」と木の葉をデザイン化した区のシンボルマーク決まる 有松「有松まちづくりの会」第一回総会開く(2月) 有松町・妻籠宿・橿原市今井町の三町で「町並保存連盟」発足(4月) ゴミ分別収集を開始(7月) 愛知県緑警察署の庁舎完成し鳴海警部派出所は緑警察鳴海派出所となる(8月) 有松住民の意識調査「有松ゼミナール」実施(8月) 有松小学校100周年記念誌『有松』刊行(10月) 加藤かねさん(明治38年生まれ)鳴海・有松絞(三浦絞)で名古屋市技能功労者として表彰される |
1975 | 昭和50 | 有松「有松まちづくりの会」第1回総会(2月) 県絞工業組合は有松・鳴海絞の技術を広く紹介する「絞りの祭典」を丸栄で年1回開催を決める(2月) 緑消防署有松出張所桶狭間に設置(4月) 緑図書館で「なつかしの教科書展」開かれ国語読本など120点展示(4月) 緑市民病院心臓病医療チーム発足で総合病院と承認(5月) 緑福祉会館と児童館完成(5月) 有松公設市場開場(8月) 絞「有松・鳴海絞」が国の伝統的工芸品産業の指定(9月) 桶狭間学区が有松学区から独立(9月) 有松小学校分校(現桶狭間小学校)開校(9月) 市教育委員会『有松町並調査報告』刊行(9月) 第12回国勢調査、緑区の人口119.126人(10月) 有松の加盟する「町並み保存連盟」が「全国町並み保存連盟」と改称 |
1976 | 昭和51 | 第1回区民植木市と花の市開催(3月) 市営桶狭間荘完成(3月) 県立鳴海高等学校開校(4月) 桶狭間小学校が有松小学校から独立開校(4月) 桶狭間消防団発足(4月) 桶狭間防火推進協力会発足(4月) 桶狭間字セト山で町名変更(5月) 桶狭間小学校にプール完成(7月) 桶狭間小学校校章決まり体育館完成(9月) |
1977 | 昭和52 | 町並みに調和する名鉄有松駅新駅舎完成(1月) 桶狭間小学校校訓碑除幕(2月) 緑区全域が速達配達区域となる(4月) 愛知県絞工業組合創立10周年記念式緑区役所で開催(4月) 農業土木委員会制度発足(5月) 桶狭間古戦場保存会発足し毎年5月に古戦場祭りの開催を決める(5月) 第1回緑区農産物品評会開催(12月) |
1978 | 昭和53 | 有松町有松でパチンコ店火災(1月) 名古屋桶狭間郵便局開局(3月) 名鉄『有松・鳴海絞』発行(4月) 鞍流瀬川改修工事始まる |
1979 | 昭和54 | 有松絞技術保存振興会が『有松志ぼり』再々発行(2月) 市教育委員会『名古屋市遺跡分布図(緑区)』発行(3月) 桶狭間小学校校歌「朝日が昇る」完成(3月) 有松の山車「布袋車」「唐子車」のからくり人形、姉妹都市提携20周年を記念しロサンゼルス市で披露(8月) 緑区救急医療情報システム対象地域となる(10月) 東丘小学校20周年記念誌『東丘』発行 緑区の人口は137.766人の世帯数39.613戸で面積3.794K平方メートル 絞の活路開拓調査報告書『伝統産業有松・鳴海絞り産地の実態と将来像』愛知県絞工業組合発行 |
1980 | 昭和55 | し尿予告収集実施(1月) 市営バス(高速1号)森の里-栄を新設(2月) 緑区役所が『緑区の遺跡と文化財』発行(3月) 第13会国勢調査で緑区の人口145.872人(10月) 緑区民懇談会開催(11月) 緑地保全地区に米塚・火上山・鷲津・桶狭間を指定(11月) 和光山長福寺本堂鉄筋で再建 有松旧東海道名残の松枯れる 南陵小学校の用地整地工事中に古窯みつかる 有松で歴史的環境研究会名古屋市伝統的町並み保全基礎調査 南陵学区が桶狭間学区から独立 中国との絞加工貿易を開始 |
1981 | 昭和56 | し尿の定時収集実施(2月) 市教育委員会『名古古屋市内の山車と神楽民俗文化財調査報告書』発行(3月) 市教育委員会『名古屋市の近世社寺建築』発行(3月) 南陵小学校が桶狭間小学校から独立開校(4月) 緑区休日急病診療所開設(4月) 南陵防火推進協力会発足(4月) 桶狭間北部土地区画整理組合設立(9月) 桶狭間庚申堂子供の火遊びで堂の一部焼ける ガスの天然ガス転換作業始まる 有松で街道の松二代目植樹し記念碑建てる |
1982 | 昭和57 | 緑区の人口150.031人(1月) 慈雲寺パンフレットできる(2月) 有松に自転車駐輪場開設(4月) 緑区民懇談会開催(10月) 緑区内のガス全て天然ガスに転換 太子小学校に校歌を刻んだ歌碑 下水道普及状況は区面積の約30%となる 名古屋市の川を美しくする会に「旭出川愛護会」「鞍流瀬川を美しくする会」発足 愛知用水二期事業で長期安定供給を目的とした改修工事開始 |
1983 | 昭和58 | 車椅子用公衆電話ボックス区役所前に設置(1月) 緑警察署東陵交番完成(2月) 市教育委員会が『名古屋の石造物』発行(3月) 有松スポーツセンター開所(5月) 市制100年(1989年)に向け記念事業「私の提案」募集で「桶狭間古戦場付近を整備し有松の町並みとともに名所に」などの提案(6月) 緑農業協同組合が緑信用農業協同組合に名称変更(6月) 緑区の「史跡散策路」5コース設定で記念に史跡散策路を歩こう会開かれる(7月) 名古屋市が「町並み保存要綱」制定し有松を保存第1号に指定(8月) 台風10号の影響で集中豪雨で被害でる(9月) 緑区政20周年記念行事行挙行(10月) 緑区役所が区制20周年記念『緑区誌』発行(10月) 緑消防署有松出張所の電話番号変更(12月) 愛知県絞工業組合は有松・鳴海絞製品の一部加工委託を中国絲綢公司との間で正式調印(12月) 名四国道と国道1号線を結ぶ刈谷新道完成 |
1984 | 昭和59 | 桶狭間小学校「希望の像」除幕(2月) 有松・鳴海絞会館完成(3月) 緑信用農業協同組合『緑信用農協のあゆみ』発行(3月) 有松駅周辺で自転車の街頭無料点検と放置自転車に注意札付け(5月) 有松しぼり音頭できる(6月) 緑区の伝説と民話発行(9月) 市バス料金140円を二段階方式で改定150円(3月)160円(10月) 郷土資料刊行会『緑区の歴史』発行 緑区内13カ所の市有墓地の戸籍簿作り始まる 市教育委員会『名古屋市遺跡分布図(緑区)〔改定版〕』発行 有松が名古屋市で初の「町並み保存地区」に指定される 三笠宮殿下が有松訪問 |
1985 | 昭和60 | 地域資源からのまちづくり『有松の風を興そう』愛知県商工会連合会・有松商工会発行(3月) 有松の服部家倉を市文化財に指定(4月) 南陵消防団発足(4月) 有松「東海道五十三次名物絞りまつり」30年ぶりに復活し開催(6月) 桶狭間消防団消防器具庫完成(7月) 南陵小学校で緑区総合防災訓練(9月) 桶狭間小学校開校10周年で記念誌『桶狭間』発行(12月) 有松・鳴海絞会館と碧海信用金庫有松支店が名古屋市都市景観賞受賞 緑区消防団(19団)連合検閲式(5月) |
1986 | 昭和61 | 旧有松町役場跡地に記念の標柱(3月) 緑警察署有松派出所なまこ壁で改修完成(3月) ミス絞りコンテスト有松・鳴海絞会館で開く(5月) 市公害対策局がまとめた「公共用水域の常時監視結果」鳴海橋調査で扇川・手越川の水質の悪化が判明(6月) 東丘小学校で「夢を大切に」像の除幕式行われる(9月) 皇太子ご夫妻が有松鳴海絞会館を訪問(11月) |
1987 | 昭和62 | 有松の服部幸平宅の倉が県文化財に指定(1月) 県文化財「井桁屋」服部邸で文化財防火デー消防訓練(1月) 桶狭間の初庚申大祭でモチ投げ行われる(3月) 有松の岡家住宅(主屋・作業場・東倉・西倉)市文化財に指定される(6月) 緑農業委員会発足(8月) 有松町づくりの会が「有松」イラストマップ作成(10月) |
1988 | 昭和63 | 緑区の人口168.369人面積37・92平方キロ、世帯52.056戸(1月) 名古屋市教育委員会が歴史的町並み保存事業として個性のある町と暮らし(有松)パンフレレット作る(3月) 文化財の山車を常設展示「有松山車会館」オープン(6月) 桶狭間古戦場土地区画整理事業で整備されに水の流れ施設など完成(8月) |
2007年10月22日月曜日
有松・桶狭間の歴史年表(昭和)
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