1868 | 明治 元 | 9月に明治に年号が改められるまでは慶応4年 鳴海陣屋(代官蔦木勝太郎)廃止名古屋藩南部総管所(知多郡横須賀村)管轄になる(8月) 有松絞の特権消滅 この頃 有松絞熱田港から積み出し 有松の消防組織でき消防組と称する |
1869 | 明治 2 | 藩籍奉還(7月) 竹田林三郎総紺白技絞考案 |
1871 | 明治 4 | 廃藩置県により名古屋県横須賀出張所の所轄となる(7月) 名古屋県愛知郡出張所の所轄となる(9月) 名古屋藩を名古屋県と改称(7月) 愛知郡は名古屋県第二大区に知多郡は額田県第一大区となる |
1872 | 明治 5 | 庄屋・名主及び年寄りを廃し戸長設置(4月) 学制頒布(8月) 徴兵令制定(12月) 名古屋県が愛知県と改称(4月) 愛知県に額田県を合併(11月) 愛知県区画章程を作り六大区九十小区にわけ有松村と桶狭間村は第七大区一小区となる 戸籍調査行われる |
1873 | 明治 6 | 有松の「神功皇后車」できる 『元作組地券証仕出帳』書かれる この頃 桶狭間に共和村長草小学校分教場開く |
1874 | 明治 7 | 有松橋東南66に第19番小学有明学校が創立(7月) 再び戸籍調査実施(7月) |
1875 | 明治 8 | 郵便役所を郵便局と改称(1月) 有松が天保時代製作された「唐子山車」購入 桶狭間村は農家78戸・医者1戸・大工1戸・旅籠屋1戸・人口383人 |
1876 | 明治 9 | 厳密な調査で完全な戸籍簿完成(8月) 鈴木金蔵が機械を応用した新筋絞を発明 桶狭間村が共和村と合併 大小九制廃止で愛知郡は第二区、知多郡は第七区と第八区(大高と有松は第七区)となる 有松の山口正義が「鷺之森碑」と「今川治部大輔義元墓」を建てる |
1877 | 明治10 | 桶狭間村内の稲荷社、愛宕社、秋葉社などの社を神明社境内に併合する 東京上野で開催の第1回内国博覧会に藍染木綿絞を出品 有松で川村屋絞卸商始める(3月) 鈴木金蔵機械応用の新筋絞発明 |
1878 | 明治11 | 鈴木金蔵中心となり「新製社」設立(11月) 地方制度改正で郡区が置かれ知多郡有松村できる(12月) 知多郡桶迫間村と知多郡大府町の一部が合併し共和村ができる(12月) 桶迫間・桶廻間などの呼び名を桶狭間に統一 竹田林三郎が養老簀絞発明 鈴木金蔵見雪絞・玉蔭絞・雪花絞等考案 |
1879 | 明治12 | 竹田庄九郎宅の建物を大高春江院の書院に移築(9月) 組織機構改革で名古屋警察署鳴海分所が熱田警察署鳴海分所となり有松を管轄し桶狭間は半田警察署の管轄となる(11月) 有松村に村会でき有松村議会が議長久田伊左衛門副議長山口喜三郎戸長服部孫兵衛で祇園寺で開かれる |
1880 | 明治13 | 有松五等郵便役所有松往還南絞商山形屋に置かれ小塚助三郎取扱人となる(4月) 神社令の改正で有松の人達が正式に天満宮の氏子となる |
1881 | 明治14 | 桶狭間村と共和村が分 |
1882 | 明治15 | 戦国時代から使われた知多街道黒末の渡し廃止 清心庵造営 |
1886 | 明治19 | 桶狭間村の御料地に部分林が設定され民間の資本で造林した利益を国と民間で分ける |
1887 | 明治20 | 有松学校が尋常小学有松学校と改称(4月) 暴風雨による被害出る(10月) 有松「布袋車山車」購入 有松で久田千次郎絞商始める |
1888 | 明治21 | 有松と桶狭間の合併問題紛糾する |
1889 | 明治22 | 岐阜地震でゆれる(5月) 桶狭間村と共和村が再び合併(10月) この頃 桶狭間村財政苦しくなり相羽家から2.000円の公債寄付を受ける他全村民による頼母子報徳講を作り運営 街道商売が衰退 |
1890 | 明治23 | パリの万国博覧会に有松綿布絞り出品 有松裏分割(鳴海から分離し有松に合併)問題が起きる 慈雲寺創建 |
1891 | 明治24 | 濃尾地震で有松に全壊の家屋が出たほか井戸水が1-2㍍以上増水溢れる(9月) 名古屋の玉屋町から布袋車山車を有松が購入 有松小学校橋東南66に校舎新築し移転(9月) 竹田林三郎が地白紺絞模様押捺(紺吹)を発明 有松臨時村会桶狭間との合併を満場一致で賛成 |
1892 | 明治25 | 愛知県西部地震で被害(1月) 桶狭間で棚橋源吾私立小学校設置願知多郡長に提出(2月) 私立桶狭間小学校が長草小学校桶狭間分教場を借用して開校 有松村が町制施行で有松町となる(9月) 有松町の初代町長に久田伊左衛門就任(10月) 晴心庵が相羽山慈雲寺と改称(12月) 桶狭間に青年会が出来て夜学開く |
1893 | 明治26 | 暴風雨により被害(8月) 有松町・共和村・桶狭間村の三者連名で町村組換願書提出される(5月) 有松町に共和村桶狭間合併、戸数457戸、人口1.730人(12月) 相羽山慈雲寺本堂の建設始まる 私立桶狭間小学校が有松小学校分校桶狭間小学校となる |
1894 | 明治27 | 愛知県北部地震で揺れる(1月) 知多郡商業会議所設立(1月) 尋常小学有松学校が有松尋常高等小学校と改称し高等科併設される(3月) 知多郡木綿晒業組合設立(4月) 知多郡農会設立(10月) 有松町戸数460戸、人口2.080人(絞商24戸、紺屋26戸、絞括請負業30戸、絞職230戸、農業100戸、雑業5戸) この頃 鳴海で有松裏の有松合併に反対するため、有志で共同会と呼ぶ頼母子講を作る |
1895 | 明治28 | 慈雲寺の本堂が総工費9万余円で完成(9月) 井桁一が絞製造卸売を始める(11月) 鈴木金蔵が日本錦と日本桜(嵐絞)の絞を発明 |
1896 | 明治29 | 有松五等郵便役所が有松郵便受取所と改称(7月) 桶狭間青年会解散 鈴木金蔵絞日本桜の特許出願専用権得る この頃、有松絞生産65万反 |
1897 | 明治30 | 桶狭間御料地開墾開始する 有松と大高で大根切干製造始まる 鈴木金蔵記功碑を祇園寺に建設し有松の絞組合も称賛の意を表して銀盃贈る 有松で永井米次郎米穀及び雑穀商い始める |
1898 | 明治31 | 愛知県北部地震でゆれ感じる(11月) 小塚助三郎らにより布帛絞成機発明 |
1899 | 明治32 | 有松絞商組合創立出願不許可で有松絞商工業組合として認可され設立する(12月) 有松絞商工業組合と名古屋国産絞同業組合との間に訴訟事件おき裁判は大審院に持ち込まれるが和解 |
1900 | 明治33 | 有松郵便受取所が有松三等郵便局改称(2月) 紀伊半島中部地震で大きくゆれる(3月) 知多郡酒造組合豊醸組設立(3月) パリ万国博覧会に綿布絞を出品 |
1901 | 明治34 | 桶狭間青年学友会が梶野孫作・梶野磯吉らが中心となり組織され再び夜学会開かれる(4月) 連合共進会に有松絞出品2等褒賞受賞(5月) 知多郡白木綿同業組合設立(7月) 知多郡味噌醤油同業組合設立(11月) 有松絞の意匠専用権和解協定成立 鳴海絞組合広産社が鳴海絞同業組合改称 名古屋国産絞組合が組合員43名で設立される 鈴木金蔵没する この頃 株式会社熱田銀行有松支店営業始める |
1902 | 明治35 | 亀山から大高・有松・鳴海間の通話料金各金拾五銭(4月) 真宗大谷派説教所神谷甚彦・木下惣兵衛・野村のゑら7名の願主で有松往還南に完成 この頃、有松に夜学会設立する |
1903 | 明治36 | 鳴海絞業者19名が名古屋国産絞同業組合に加入 有松・桶狭間から神宮西門前へ乗合馬車(始発午前6時から終発午後6時)乗車賃、有松-神宮10銭、桶狭間-神宮12銭 有松絞商工業組合と名古屋国産絞同業組合との間に再び訴訟事件起きる |
1904 | 明治37 | 聖路易萬国博覧会に絞出品(5月) 有松染工合資会社設立(12月) 有松物産株式会社染物及び絞太物製造販売開始(12月) 不景気で絞職工などに大量解雇者が出る |
1905 | 明治38 | 有松絞商工同業組合設立(2月) 有松の絞商共進組合が中心となり有松での電信早期創設運動を起こす(3月) 有松三等郵便局(郵便受取所)を有松郵便局と改称し山口喜三郎局長となる(4月) 有松裏分割問題再び起きる |
1906 | 明治39 | 有松郵便局電信事務を開始(7月) 凱旋記念五二共進会に有松絞出品名誉金牌受賞(11月) 桶狭間青年学友会が桶狭間青年親睦会と改称 供進使が町村長に決まり天満宮については有松と鳴海の両町長が祝詞奏上 石川久次郎両千鳥絞染・鈴木金蔵笹浪絞考案 竹田信吉「簀染」絞染色器発明すると共に彫染絞考案 |
1907 | 明治40 | 愛知県知多郡水産組合設立(3月) 第9回関西府県連合共進会に有松絞出品し1等賞金牌受賞する(5月) 知多郡産牛組合設立(9月) 有松町立商業補習学校が小学校に併設設立(10月) 愛知県絞同業組合連合会設立 手回し蜘蛛絞器考案される 染色講習所有松に設置 有松で河村商店絞加工請負を始める 有松で六鹿銀次郎絞太物商始める この頃 有松-鳴海間の馬車賃4銭 有松から大府への郡道(大府街道)大規模改修行 |
1908 | 明治41 | 第2回特許品展覧会に有松絞出品金牌受賞(5月) 長野県主催一府十県連合共進会に有松絞出品1等賞金牌と優等賞受賞(11月) 西尾源之助金蜘蛛絞発明 釣鹿子絞考案 桶狭間武路外七字の御料地拝借総代が開墾地図作る |
1909 | 明治42 | 鳴海・大高・有松の郵便局に電話機設置し電話呼び出し制度による通話開始(2月) 滋賀県姉川流域地震でゆれ感じる(8月) 福岡兼吉が機械による絞り「蜘蛛製法」発明 岡田松治郎が機械鹿の子製法を考案 桶狭間に出雲大社教愛知日出教会所設立 |
1910 | 明治43 | 第13回九州沖縄八県連合共進会に有松絞出品賞牌(毎日新聞社賞)受賞(5月) 日英博覧会で染物の部で絞が金・銀・銅賞受賞(5月) 愛知県主催第10回関西府県連合共進会に有松絞出品1等賞金牌受賞(6月) 有松に諸機械製造の合資会社森井鐡工場設立(7月) 有松郵便局に50回線磁石式単式交換機1台が設置され29加入で特設交換業務開始(9月) 有限責任知多郡信用購買組合聯合会設立(12月) 有松に共開染色合資会社できる(12月) 有松小学校桶狭間分校廃止で本校通学となる(4月) 名古屋鶴舞公園で開かれた共進会に絞浴衣と綿兵児帯出品 |
1911 | 明治44 | 滋賀県虎姫村地震でゆれる(2月) 愛知電気鉄道電気供給事業兼営許可(4月) 有松町名古屋瓦斯ガス供給区域となる(9月) 有松青年蛍雪会発足 愛知電気鉄道が名和・日長両変電所設置各町への送電線建設に着手(5月) この頃 岡田松次郎が機械鹿の子絞考案 |
2007年10月22日月曜日
有松・桶狭間の歴史年表(明治)
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