1912 | 大正 元 | 大風で今川義元鎧掛けと伝える松枯れる 愛知電気鉄道電燈供給事業開業で有松に電灯がつく(2月) この頃 桶狭間庚申堂焼失 |
1913 | 大正 2 | 鳴海郵便局と有松郵便局を接続する名古屋有松2番通話線新設(7月) 有松郵便局接続電信回線名古屋形原線に変更(9月) 桶狭間青年親睦会第1回敬老会開催 愛知電気鉄道有松町-熱田東町間(有松線)鳴海町-知多郡上野村間(大高線7.10失効)に鉄道敷設免許許可出される |
1914 | 大正 3 | 電話加入者数、大高13台、有松22台、鳴海10台 暴風雨で稲作に大きな被害出る 出原鐘次郎立筋絞の手動式機械発明 |
1915 | 大正 4 | 竹田嘉兵衛愛知電気鉄道取締役に就任(10月) 大典記念京都博覧会に有松絞出品銀賞受賞(11月) 桶狭間青年親睦会と有松青年蛍雪会を統一し有松青年団を設立 愛知電気鉄道神宮前から有松町間の鉄道敷設工事開始 |
1916 | 大正 5 | 愛知電気鉄道有松裏-矢作町間鉄道敷設免許を申請するが不許可(10月) 愛知県海部郡教育会『尾張国地名考』刊行 この頃 手羅仙絞を工具を利用して突出し羅仙絞に改良 |
1917 | 大正 6 | 愛知電気鉄道有松線笠寺-鳴海町有松裏5.6キロ(単線)開通 有松裏駅が営業を開始(5月) 尾張知多大根切干同業組合設立(8月) 名古屋瓦斯有松町のガス料金値上げ(9月) 長雨による稲の凶作と小作料の引き下げをめぐり鳴海・大高・有松一帯の小作人と地主の対立で小作争議起きる 長福寺惣門再建 有松絞商工同業組合の組織拡充計で大高の絞業者も加入 |
1918 | 大正 7 | 愛知電気鉄道鳴海町-知立町間鉄道敷設免許申請するも不許可(3月) 意匠商標品展覧会に有松絞出品有功賞牌受賞(4月) 有松で林惣木材販売と製材を開始(6月) 有松町立商業補習学校と桶狭間青年親睦会を統一有松町立実業 補習学校開校(11月) 沢田竜太郎模様染色法の特許を取得 |
1919 | 大正 8 | 有松絞工業合資会社絞製造販売絞請負を始める(1月) 大日本名所図会刊行会『尾張名所図会』刊行(1月) 愛知電気鉄道鳴海町-知立町間鉄道敷設免許再申請(4月) 全国染織工業博覧会に有松絞出品銅賞受賞(5月) 愛知電気鉄道有松-岡崎間自動車運輸営業譲り受け許可され田 代栄重ら経営のバス事業を継承(5月) 愛知電気鉄道鳴海町-知立町間の鉄道敷設免許許可(6月) |
1920 | 大正 9 | 第1回国勢調査で有松町世帯数461戸、人口2140人 |
1921 | 大正10 | 名古屋区裁判所有松出張所が往還北に完成(7月) 有松へのガス供給は採算が取れず中止(8月) 全国特産品評会に有松絞出品2等賞本杯受賞(10月) 相羽山慈雲寺縁起書かれる(12月) 桶狭間の梶野綱吉が尾張知多大根切干同業組合評議員になる 桶狭間の御料地払い下げ 有松公設市場完成 豊後絞を改良し疋田三浦絞の手法完成 |
1922 | 大正11 | 尾張知多大根切干同業組合と三河大根切干同業組合の合併協議されるが機熟さず不調に終わる(5月) 竹田嘉兵衛愛知電気鉄道取締役辞任し再就任(6月) 有松絞東京で開かれた万国博覧会に出品 |
1923 | 大正12 | 3回目の有松裏分割問題起きる 名古屋市役所勸業課絞に関する調査実施(3月) 愛知電気鉄道岡崎線有松裏-新知立(仮)間9.2キロ(単線開通)有松変電所完成(4月) 桶狭間梅花処女会設立 有松の電話加入者数23件 山田周太郎半木製の手動式絞器を使う機械筋絞製法考案 |
1924 | 大正13 | 電話の区域改正で有松裏は有松局に編入(7月) 有松裏に鳴海尋常高等小学校東分教場開校(7月) 愛知電気鉄道岡崎線鳴海-有松裏間複線化(10月) |
1925 | 大正14 | 桶狭間に私設の図書館完成 半田警察署大府巡査部長派出所有松を管轄(4月) 愛知電気鉄道岡崎線神宮前-東岡崎間の電圧600Vを1500Vに昇圧(6月) 有松松操処女会設立 第2回国勢調査で有松町人口2.131人 |
2007年10月22日月曜日
有松・桶狭間の歴史年表(大正)
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