2007年10月22日月曜日

桶狭間合戦の史跡

幕山
 松井左衛門佐宗信が桶狭間の山に陣を置き、大高・鳴海方面を監視した跡。陣に幕を張りたてたことから名付けられた。
巻山
 今川義元の本隊を指揮した井伊信濃守直盛が義元が田楽坪で休息中に、敵情を見張るため仮の陣を置いた跡で、織田信長勢に包囲されたことで巻山の名がついた。
七ツ塚
 今川の戦死した将兵を七つの穴を掘っての埋葬したと伝えられ、里人は七ツ塚と呼び取り壊すと「たたり」があるとされた。区画整理事業で塚はなくなり一角に碑が建てられている。
窯ヶ谷
織田信長が善照寺砦から約2000の将兵とともに、暴風雨の中を休息する義元の本陣へ向けて駆け抜けた山間の細い道。名前が残るだけですでに当時をしのぶことはできない。
鞍流瀬川 
 窯ヶ谷を水源とし、旧刈谷街道に沿って流れる。戦いのあと血に染まった鞍がいくつも浮かんでいたことから、誰とはなく鞍流瀬川と呼ぶようになった。川から「桶狭間古戦場」文化13年と刻まれた標石がみつかっている。水源から長福寺の前まで区画整理で埋め立てられた。

0 件のコメント: